癒しは自分を知ることから
揺れること、オッケー。
むしろ、揺れろ!ってとこです。
せっかく生きてるんだから。
ウォーター・ヒーリングスイムのブログなのに
今日は思い出を語ります。
(長すぎて入らないのではしょります…)
今回いろいろ思い出されてきたことの中に、
幼い頃、飯場で暮らしたことを逐一思い出しました。
飯場って知ってます?
トンネル工事とかダムの工事とか長期にわたる
建設現場には、働く人のためのプレハブが立ち、
工期の間はみなそこで寝泊りします。
飯場には、昔は「流れ者」といって、素性の
わからない人も多く、また今でいうところの
「アルコール中毒」も多くいて、毎晩喧嘩の仲裁に
父は夜中まで動いていた。
飯場というくらいだから、
料理するおばちゃんがいて、こわかったけど
たっぷりと身体に肉をつけ、汗だくで大なべを
かき回していた姿が思い出される。
大なべも半端な大きさではなくて、
その中で5歳の私が水遊びできたくらいだから、
飛んでるハエはその湯気でポトンポトンと落ち、
鍋の中身は多種多様のタンパク質が入っていたと
思う。
そんな中、生きるか死ぬかのドラマが毎日起きた。
朝元気に出かけて行ったおじさんたちが
帰ってくる時には遺体になっていたりしたから。
ダイナマイトがバクハツしてしまったり、
土砂に埋もれてしまったり。
今福島で何が起きているかなんて簡単に想像できて
しまう感性はその頃に培われたのかもしれない。
そんなこんなで、
今回はその時の風の匂いさえも思い出して、
「生きる」って壮絶であり、
その壮絶さの中に「安穏」もあり、
「優しさ」と「愛」が混在していて、
そのへんの愛の物語よりもずっと強烈で
なおかつ美しかったこと、
そして誰もがみな「愛」に飢えていて、
その表現はグレたり喧嘩したり叫んだりと
いろいろだったけど、
その目の中には悲しさと寂しさとやるせなさが
映っていたこと、
子供でもわかるんだね。
工期が終わって打ち上げの時の
共に暮らした何か月間を一緒にねぎらう
歓喜の瞬間と、
みなバラバラに去ってゆき、
ガランとした飯場のプレハブがいつしか壊され、
何もない更地の向こうに、
とてつもなく大きなダムがあったこと、
みんなと別れるのが寂しくて寂しくて泣いたこと、
みんな思い出して、
そっかあ、私の性格はこの頃にできたのか~
と思った次第。
それは振幅幅が大きいってこと(笑)
落ち込むのも激しいけど有頂天と歓喜とで
ウハウハな時。ほとんど躁と鬱とが交互にきて、
こなごなにするscrap and build 建設する。
疲れるわけだ(笑)
それがエナジータッピングで変わった。
変わった、というより、どうとらえるかを
知ることができたと思う。
ニュートラルを知ったから。
これがウォーター・ヒーリングスイムにどう
結びつくか?
どっちにぶれても、いったん極端までぶれてもらうのが
ウォーター・ヒーリングスイム。めちゃくちゃな動きも
します。だからこそ自分のニュートラルもわかるんだもの。
おそるおそるでも限界を知ってもらうのが私の仕事。
行き過ぎても私にはわかる。
からだと「さし」で話し合うリラクセンスボディセラピーと
出会って、それがわかるようになったから。
からだが嫌がるから「限界」は私がわかる。
そこをうまくいなしながら、すこしづつ限界を越えて
ゆくから、「安定」がここちよいものになる。
安定にしがみついていると恐怖だけになる。
それが「水がこわい」。
水はこわくないよ、ってわかっただけで、
何でもできそうになる不思議。
ウォーター・ヒーリングスイムにかかわって
くれた人がひとりまたひとりと
自分の中にある本当の自分の願いに
気づいて動き出してくれる姿を見て、
私の願いが聞き届けられてゆく嬉しさ。
だからウォーター・ヒーリングスイムは
やめられない(笑)
やってみたらいいの、ともかく。
人生もまた水にたとえたら、
全部シンプルにわかるはず。
大きな波の下には、静かで、
ゆったりした空間(水間?)があることが
わかれば、何でも挑戦できる。
きっと戻れるから。
死んだら、そのニュートラルがいっつもあるわけで、
変化を楽しみたいから生きてるわけで、
生きてる時に安定ばかりしてたら、
ドラマも生まれないし、感動も生まれないし。
たかが水泳。
でもウォーター・ヒーリングスイムは、
されど水泳なの。
読んでくださってありがとう♡♡♡
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