「水からの伝言」

明けまして、おめでとうございます。

今年はダイナミックに生きようと思います。

 

さて2015年冬至以降、

なにやらにぎやかに人々が集います。

そのお話を。

 

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小さな城下町。

いつも井戸水・湧水・清流に囲まれて

幸せな幼少時代でした。

清水に感謝することなく育ったけれど、

からだにしみついた清流の心地よさ、

 

ある時、それは1999年。

アラフォーの頃ね。

 

江本勝さんの「水からの伝言」という本が

出版されました。

 

「ありがとう」と書かれたビンの中の水は

きれいな六角形の雪の結晶のような画像。

そして、「ばかやろう」と書かれたビンの中の水は、

崩れて跡形もない画像、というアレです。

たぶんご存じの方も大勢いらっしゃるでしょう。

 

私はその時すでに、

変形性股関節症の痛みを取るための手術を受けており、

手術したのに痛みがなくならない最悪の時期を越え、

自己流で続けていた「イルカ泳ぎ」や

「白くま泳ぎ」、そして水泳仲間の応援もあり、

ありがたいことに無事に歩けていました。

 

ですから、

「水」のありがたさがからだに沁みついており、

「水」はこんなに美しい姿をしていたのね、と

頬ずりしながら読みました。

 

世間が似非(えせ)科学と言おうが何と言おうが、

私はプールの中であっても、

海であっても湖であっても、

親近感どころか、何か、水が生きているかのような

錯覚に陥るほどの経験をたくさんしていましたから、

いつも枕元に置いて、眺めながら眠りにつく、

というほどの感動を味わったのです。

私の中の仮説が確信になりつつある頃

だったからかもしれません。

 

は人々の言葉もなにもかも、

情報として受け取る?

 

 

は変化し続けて、

 

 

時として、意思を持っているかの

 

 

ような動きをする

 

 

 

 

時は移り変わり、

 

著者の江本さんがおととし亡くなられて

寂しい想いをしている時に、

何の映画が忘れましたが、

外国の地下鉄の駅の場面で、

Mr. Masaru Emoto

と紹介されて、タイルに埋め込まれた数々の

水の結晶の写真たちを見ました。

何秒もないほんのつかのまのシーン、

私は見逃さなかった!

 

一度もお会いしたことのない方でしたが、

涙が止まらなくなりました。

「似非」とか「インチキ」とか言われた

こともある江本さんの気持ちに、

なにやら私も共感してしまっていたのかも

 

しれません。

 

その江本さんの「水」の関連のお仕事を

引き継がれた根本康行さんと、

なんと、御縁ができた、というすごいお話は

次回。

神様、仏様、キリスト様…八百万の神様たちに

感謝!!!

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

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